こんにちは!緑工房タニノです。
日本海ケーブルネットワークで毎週(再放送含む)放送されている、「ピカイチ」。
この番組では、鳥取県内の”光るもの”を持つ企業が毎回紹介されています。
そんな「ピカイチ」(初回9/1放映)にて、私たち緑工房を取り上げていただきました!
番組で紹介された内容をお伝えするシリーズ、3回目は、緑工房の歴史についてお話します。
日本海ケーブルネットワーク「ピカイチ」ブログ
緑工房のはじまり
緑工房が設立されたのは、2009年のこと。
それまで弊社の代表取締役である河村は、父親が代表をつとめている就労支援センター「和貴の郷(わきのさと)」のスタッフの一人でした。
当時、河村は和貴の郷の農業部門を担当していましたが、利用者が年々増加。
そこで和貴の郷の農業部門を暖簾分けすることになりました。
そうして誕生したのが緑工房なのです。
きくらげ栽培のきっかけ
緑工房は当初、しいたけの栽培をメインに行なっていました。
現在はきくらげ栽培がメインとなっていますが、きくらげ栽培を始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
そこには、このシリーズ第1回で取り上げた、鳥取県鳥取市にある日本きのこセンターと、リンガーハットの存在がありました。
▽第一回 鳥取ときのことリンガーハット
食材を100%国産にしようと動いていたリンガーハットが、国産きくらげの生産を日本きのこセンターに相談したのです。
相談を受けた日本きのこセンターは、緑工房へ声をかけました。
なぜかというと、緑工房の持っていたしいたけの生産設備できくらげの菌床をつくることが可能だったからです。
しいたけに比べて、きくらげの生産は年間通して安定した収益が見込まれること、そしてきくらげ栽培に可能性を感じた河村は、きくらげ栽培を始める決断をしたのです。
きくらげ菌床の開発には苦労も….
しいたけ栽培の経験があったので、きのこ栽培に自信があった緑工房ですが、きくらげの菌床開発には苦労がたくさんありました。現実は厳しいものだったのです。
栽培をはじめて最初の春のこと。
ハウスの中で育てていた9千床の菌床が、なんと酸欠になってしまいすべて出荷できないことになってしまうという大失敗がありました。
失敗が繰り返される日々はその後も続きました。
しかし2014年、試行錯誤の末についに納得のいく菌床の開発に成功したのです。
その頃を振り返り、河村は言います。
「苦労が実ったな、ということですね。これから販売する生産者の方へは、あまりこの苦労がないように、失敗しないようにフィードバックをしていきたいと思います。」
緑工房のきくらげへの情熱
失敗を乗り越えてきくらげの菌床を開発し、その菌床を使ってきくらげ栽培をしてきた緑工房。
「純国産」にこだわりながら進んできた道のりの中で、緑工房のきくらげへの情熱はどんどん大きくなりました。
苦労して開発したきくらげの菌床を使い、生産者のみなさんときくらげの魅力を広げていきたい。それが私たち緑工房の想いです。
今回はここまで。
次回は、きくらげの可能性と新しい取り組みについてお話します(*^^*)
鳥取県で国産きくらげを販売する緑工房のネット店長。
日々、全国のお客様からのきくらげ栽培のお悩みにお答えしています。